自分のルーツを辿りたい!14
バタバタしていてまともにブログを更新できず、かなり久しぶりの更新になりますm(_ _)m
先日、愛媛の親戚と会って我が家の家紋を確認したところ、「五三の桐」だそうです。
姓が違う親戚の家紋も複数「五三の桐」でした。
※「丸に五三の桐」、「八角に五三の桐」も含みます。
親戚から先祖や家紋について、あまり詳しい話は聞けませんでしたが、地域的に平家の落人の話題は出ました。
何でも、昔親戚が「山の方へ平家の落人のお墓を探しに行ったことがあるけど、見つからんかった」と。
昔私の祖父が、「うちの名字は伊豆の伊東から来とる」と私に話してくれたことがありました。しかし、親戚はそういった話は知らず、伊東近江守祐晴をりませんでした。
(ちなみに↓のリンク内、場所と名字的に先祖が繋がってそうな方…?)
丸に五三桐の家紋情報|家紋検索No.1/家紋ドットネット|日本最大 家紋8,000種以上を掲載!!
◆◆◆
個人的に、先祖調べで家紋に拘る必要はないと考えています(先祖が誰それに仕えたとか関係なく、各々がわりと好きな家紋を選んでつけたのでは?だから、家紋で先祖は調べられない)。
現在、何とか我が伊藤家の先祖を伊東近江守祐晴に繋げるため頑張っています。
自分の先祖だけでなく、私と繋がっていそうな方と繋げてなるべく先祖調べ倒して辿り上げたい!!!
と、いうことで・・・。
愛媛県西条市(旧新居郡加茂村・千町・藤之石・荒川)、徳島、香川、高知にルーツのある伊藤さん!又は伊東さん!
伊藤家のみならず、先祖が同族かも?親戚かも?と思われた方からの情報提供をお待ちしております。
■メール
iyokoroots@gmail.com
伊藤
愛媛県今治市上浦町(大三島)にルーツがある金子さんいませんか?
自分のルーツを辿りたい!12
※愛媛の母方ご先祖・自分ルーツ記事です。
数ヶ月前、「西條誌」 絵図の今むかし という本GET。
私の祖父は、愛媛県西条市藤之石(旧・新居郡藤之石山村)出身の伊藤姓。
祖父のご先祖、伊東近江守祐晴の近江は、滋賀。
(かつて滋賀に近江国があった)
そして、伊藤姓で名前に「祐」の字が使われてるのは、「藤原南家工藤氏流」。
西条市の伊藤の家紋は、基本的に木瓜で、「庵木瓜」が多いそうですが、「丸に木瓜」もあるという新情報(?)入手!
あと、「下がり藤」もあるようです。
※画像準備中
同じ西条市の伊藤でも、家紋が違う・・・村によって違うとかでしょうか?
単純におじいちゃんのご先祖が藤之石山村出身→藤の字が使われている→「下がり藤」?
※我が家の家紋不明
祐晴氏の末裔は伊東→伊藤に改姓したようですが、改姓せず伊東姓もいらっしゃるそうです。
そして、祖母(旧姓・村上)のご先祖に金子姓。
金子姓のルーツは前の記事にも書いていますが
昔、愛媛県新居浜市に金子城があり、新居浜市あたりがまだ新居郡だった頃、「金子村」という村があったそうです。
この金子とは、桓武平氏村山党の流れを組み武蔵国から伊予に移り住んだ伊予金子氏(金子元宅・金子宅世)
武蔵国をザックリ説明すると、埼玉、東京、神奈川あたり。
※現在の西条、新居浜の大半が旧新居郡
新居郡を少し調べると・・・
江戸時代の寛永13年(1636年)、伊勢神戸5万石の領主であった一柳直盛が、1万8000石の加増を受け、計6万8000石で新居郡に転封となり、西条藩が置かれて紀州徳川家と深い関わりをもちながら発展した。さらに元禄4年(1690年)に別子銅山が開坑され、住友家が経営をしながら関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。
新居郡のWikipediaから紀州徳川家のページへ飛ぶと、徳川氏(紀州徳川家)本姓 称・清和源氏らしいので、私の先祖の名字のルーツなど清和源氏にゆかりが多いのも頷けます。(伊藤以外の名字など)
※時代が違えど伊東近江守祐晴も、伊予金子も長宗我部に仕えた。
源氏を少し調べると・・・
家康の自称・・・?
Wikipedia 「源氏」のページを下へスクロールすると・・・
清和源氏 編集
56代清和天皇の子孫。貞観御後[14]。詳細は「清和源氏」を参照。中央では光孝天皇への皇統移行により、勢力を広げることは出来なかった。しかし第六皇子・貞純親王の子・六孫王経基の系統は武家として栄え、河内源氏の源義家が武家の棟梁となり、その子孫から鎌倉将軍家を輩出したことから武家棟梁の家柄とされ、室町幕府を興した足利氏を初めとして、新田氏、木曾氏、武田氏、佐竹氏、細川氏、今川氏、土岐氏、南部氏、宍戸氏など多数極めて多数の武家が清和源氏の子孫を称した。また、徳川氏や島津氏など本来清和源氏ではない一族が源氏を仮冒した例もある。
>徳川氏や島津氏など本来清和源氏ではない一族が源氏を仮冒した例もある。
ということで、徳川家康(自称)?
よくわからないまま調べていますが、私の先祖をずーっと辿って辿って辿りまくると、源氏?
村上水軍は、先祖が源氏という説があるようだけど、あくまで一説。
伊東近江守祐晴は尾張伊東氏、伊東祐清と関係があると思うのだけど。
伊東祐清を軽く調べると・・・
伊東 祐清(いとう すけきよ)は、平安時代末期の武将。伊豆国の豪族・伊東祐親の次男。諱は祐兼、祐長(『曽我物語』)、祐氏(『平家物語』)、祐忠
源頼朝の乳母である比企尼の三女を妻としており、伊豆の流人であった頼朝と親交があった。安元元年(1175年)9月頃、平家の家人である父の祐親が頼朝を討とうとした際、頼朝に身の危険を知らせて逃がしている。『曽我物語』によると、自身の烏帽子親である事から、北条時政を頼るように頼朝に薦めたという。
伊藤祐清氏は、流人時代の源頼朝を救った逸話があるそうです。
※尾張伊東氏の尾張は、現・愛知県西部
伊藤姓の由来は、藤原氏。
しかし、私の先祖(伊藤姓以外)は源氏とゆかりが深い・・・?
さすがに源氏やら藤原氏までは辿れないと思いますが、いろいろ知れて面白いですね。
私の先祖・ルーツを辿る記事は、随時更新予定。
応援よろしくお願いします!
主に余所国の村上さん集合!
※この記事は、2021年9月にnoteで公開した記事を編集したものです。
「自分のルーツを辿りたい!」シリーズの番外編になります。
「note拝見させていただきました。こりおり舎で、「宮窪むかしむかし」購入されたんですね。お買い上げありがとうございます。」
メッセージを頂きました。
宮窪に詳しいかた、ご協力ありがとうございます🙏
▼「こりおり舎」さんはコチラ
宮窪に詳しいかたが、大叔母(祖母の妹)をご存知でした。
大叔母に
「子どもの頃から、よく声掛けてもらっていました。」
とのことでした。
大叔母は昔母らの面倒を見てくれていたそうで、私も何度か会ったことがあります。毎年みかんなど送ってくれましたね。
祖母に似て優しい人でした。
▼以下、宮窪に詳しいかたからの情報
(※私の祖母は宮窪町余所国出身、旧姓村上
余所国で村上と言えば
笹の井の、村上幸造さんのひ孫は、今治市役所に勤務されています。
今治の第一病院の創設者で名誉市民の木本達郎さんは、村上家から木本家へ養子に入りました。
木本家は、採石業を行うため松山から余所国に移り住まれたとの事です。マレーシアに渡った村上タマノさんもいます。
お孫さんが、事業で成功されマレーシアの有名実業家になっています。
その縁で、資金を出され余所国に公園整備がされています。そして、宮窪に詳しいかたの同級生が、私の母と同じ高校出身で、ソフトボールをしてたとのこと。母の後輩ですね。
村上姓の方ですが、私の家族や先祖と関係があるかは不明です。
「でんしれんぢ」という親子のボーカルのバンドグループの母親の方で、「ゆうきのうた」でメジャーデビューされていたそうです。
良かったら聴いてみてください。めっちゃ!いい歌です😄
私のご先祖・ルーツを辿る記事は、随時更新予定。
応援よろしくお願いします!
自分のルーツを辿りたい!11
※この記事は、2021年9月に某所にて公開した記事を編集したものです。
村上姓や遠縁が多すぎて、母もよく把握できていません。母が知っているのは主に宮窪・余所国のこと。
▼母方の親戚説明図を適当に作りました。
・祖母のご先祖→伊予金子氏?(河野通宣・長宗我部
に仕えていた金子元宅など)→垣武平氏流?(曽祖母(祖母の母)が金子姓)
・祖母のご先祖→村上海賊(村上水軍)能島村上氏→源氏???
金子氏の家紋は蜻蛉紋の三つ蜻蛉。その他 鉄線、丁子、茗荷、竹に雀、井桁に沢瀉(おもだか)、抱き柏、鷹の羽、橘、雁、木瓜、下り藤など。珍しい紋に伊予金子氏の“丸に七つ亀甲”がある。
ニッポン旅マガジンより引用
祖父のご先祖→長宗我部氏に仕えた、伊東近江守祐晴(伊藤近江守祐晴)→辿りまくると藤原氏…?
地方の古族(国造や県主など)で先祖が不詳になったものには、中央の権門勢家にかこつけ藤原氏一族と称したものも数多く存在したと見られ、佐藤・斎藤・伊藤・加藤・後藤・武藤・近藤・安藤・尾藤・遠藤などはその多くが本来藤原氏とは無関係であったとも見られる。
伊東近江守祐晴氏の名字の由来は、伊豆の伊東→改姓→伊藤らしいです。
伊豆の伊東→伊藤なら、藤原南家?そうしたら家紋は「下り藤」のはずなのですが、
伊東近江守祐晴氏の名前に「祐」の字が使われてることから、藤原南家工藤氏流→家紋は「庵木瓜」?
千町(西条市)の伊藤一族の家紋は「下り藤」or「庵木瓜」?
「下り藤」
「庵木瓜」
祖父のご先祖の菩提寺にお電話でお尋ねしたところ、「伊東近江守祐晴…?昔のことはよく分かりませんが、そういうかたもいたんじゃないですか?なんせ、あの辺りの山は伊藤ばっかりですよ(笑)いまはもう、ほとんどの人が西条や新居浜の街に下りていますので、あの辺りは殆ど人がいないので、行っても…。」みたいな感じでした。
が、菩提寺に許可はいただいたので、必要に応じて直接伺います。
三津浜(松山)出身の曽祖母(祖父の母)のご先祖は、商人か何かだったのでしょうか?調査中!
※昭和20年7月の空襲で戸籍焼失。
捜索範囲を三津浜・大三島・伯方島あたりまで広げて聴き取り中ですが…。
松山の歴史に詳しいかたから、いろんなお話伺えました!これからまた新たな情報が集まるかもしれません。
そして、三津浜は直接空襲の被害はなかったようですが、曽祖母の生家は、さすがにもうないでしょうか。
松山の歴史などに詳しいかたが仰っていたのは私の家系は「ルーツを辿りやすいけど、広い範囲でいろんな人が出てくるから、わかりにくい(笑)」とのことで、私もわかりにくいです。
幕末以前を辿れるかの〜?
宮窪・余所国絶賛調査中!
〜先日、祖父の命日でした〜
おじいちゃん、あなたの孫はわりと全力でご先祖を調べ倒しています。母らも、おばあちゃんより長生きしています。母は歳のせいかこのところ昔と比べて勢いは衰えたけど、私はこのまま悔いなく全力で生きるのみです!
私のご先祖・ルーツを辿る記事は、随時更新予定。
応援よろしくお願いします!