LIFE LOG(自分ルーツ綴り。)

自分のルーツを辿りたい!11

※この記事は、2021年9月に某所にて公開した記事を編集したものです。
 


村上姓や遠縁が多すぎて、母もよく把握できていません。母が知っているのは主に宮窪・余所国のこと。 



▼母方の親戚説明図を適当に作りました。




・祖母のご先祖→伊予金子氏?(河野通宣・長宗我部(こうのみちのぶ・ちょうそかべ)
に仕えていた金子元宅(かねこもといえ)など)→垣武平氏(かんむへいしりゅう)?(曽祖母(祖母の母)が金子姓)

・祖母のご先祖→村上海賊(村上水軍能島(のしま)村上氏→源氏???

tabi-mag.jp

金子氏の家紋は蜻蛉紋の三つ蜻蛉。その他 鉄線、丁子、茗荷、竹に雀、井桁に沢瀉(おもだか)、抱き柏、鷹の羽、橘、雁、木瓜、下り藤など。珍しい紋に伊予金子氏の“丸に七つ亀甲”がある。


ニッポン旅マガジンより引用


祖父のご先祖→長宗我部氏に仕えた、伊東近江守祐晴(いとうおうみのかみすけはる)(伊藤近江守祐晴)→辿りまくると藤原氏…?


Wikipedia藤原氏を調べますと…。

地方の古族(国造や県主など)で先祖が不詳になったものには、中央の権門勢家にかこつけ藤原氏一族と称したものも数多く存在したと見られ、佐藤・斎藤・伊藤・加藤・後藤・武藤・近藤・安藤・尾藤・遠藤などはその多くが本来藤原氏とは無関係であったとも見られる。


Wikipediaより引用


伊東近江守祐晴氏の名字の由来は、伊豆の伊東→改姓→伊藤らしいです。
伊豆の伊東→伊藤なら、藤原南家(ふじわらなんけ)そうしたら家紋は下り藤(さがりふじ)のはずなのですが、
伊東近江守祐晴氏の名前に「祐」の字が使われてることから、藤原南家工藤氏流→家紋は木瓜(いおりもっこ)」?
千町(西条市)の伊藤一族の家紋は「下り藤」or「庵木瓜」?


「下り藤」


「庵木瓜



祖父のご先祖の菩提寺にお電話でお尋ねしたところ、「伊東近江守祐晴…?昔のことはよく分かりませんが、そういうかたもいたんじゃないですか?なんせ、あの辺りの山は伊藤ばっかりですよ(笑)いまはもう、ほとんどの人が西条や新居浜の街に下りていますので、あの辺りは殆ど人がいないので、行っても…。」みたいな感じでした。

が、菩提寺に許可はいただいたので、必要に応じて直接伺います。

三津浜(松山)出身の曽祖母(祖父の母)のご先祖は、商人か何かだったのでしょうか?調査中!
※昭和20年7月の空襲で戸籍焼失。


捜索範囲を三津浜大三島伯方島あたりまで広げて聴き取り中ですが…。
松山の歴史に詳しいかたから、いろんなお話伺えました!これからまた新たな情報が集まるかもしれません。
そして、三津浜は直接空襲の被害はなかったようですが、曽祖母の生家は、さすがにもうないでしょうか。

松山の歴史などに詳しいかたが仰っていたのは私の家系は「ルーツを辿りやすいけど、広い範囲でいろんな人が出てくるから、わかりにくい(笑)」とのことで、私もわかりにくいです。

幕末以前を辿れるかの〜?


宮窪・余所国絶賛調査中!



〜先日、祖父の命日でした〜

おじいちゃん、あなたの孫はわりと全力でご先祖を調べ倒しています。母らも、おばあちゃんより長生きしています。母は歳のせいかこのところ昔と比べて勢いは衰えたけど、私はこのまま悔いなく全力で生きるのみです!


私のご先祖・ルーツを辿る記事は、随時更新予定。
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